糸島写真館を始めた理由
福岡県糸島市の写真スタジオ「糸島写真館」の渡邊精二です。
私は2011年夏に勤務していた共同通信社を辞め、
東京から糸島の海沿いの田舎町に移り住みました。
生後半年の息子を抱え、「さて、何をして食っていこうか?」という毎日。
当時、「糸島ブーム」の片鱗さえ見えず、今なら驚くほど人気のない海岸で、
子の成長を毎日のようにカメラに収めていました。
日々、変化していく幼子。
「もっといい姿を残したい」
そういう想いに駆られた私は、キヤノンのプロが使うカメラを中古で手に入れ、
シグマの50mmの単焦点レンズで撮った息子の姿をブログに投稿し始めました。
すると思いの外、評判がいいのに気づき、新聞記者時代から得意だった
カメラを仕事にしようと思い立ちます。
ただ「にわかカメラマン」に仕事があるはずもなく、福岡市のIT企業のカメラマンとして、
商品などの撮影を通じてライティングの技術を学んできました。
企業のホームページ用写真撮影の傍らで、糸島の人たちを撮ろうと思い立ちます。
きっかけは、移住先の集落のお葬式でした。
田舎に住んでいるので、近所付き合いは濃密。
隣組の方が亡くなると、集落の人たちはみんな葬儀場に駆けつけます。
そんな時、いつも残念に思うことがありました。
遺影の写真が旅行の集合写真を切り抜いて引き伸ばしたようなものばかりで、
ちょっとぼやけているんです。
しかも無表情。
それが20~30年前の写真だったりするわけです。
遺影って残された人たちが見るものだと思うんです。
だからこそ、故人の写真を見た人たちが、笑顔になるような写真を私が撮れたらなあと、
葬式に参列しながら、いつも考えていました。
私のこうした思いを知り合いのお寺に話したところ、
「うちで遺影撮影会をやってみたら」とのうれしい返事。
檀家さんに呼びかけてもらったところ、想像以上のお年寄りが集まりました。
プロに撮ってもらったことなんてない、という方ばかり。
「お酒は好きですか?」「好きな焼酎の銘柄は何ですか?」
そんな質問を投げかけていると、はじめは緊張していた表情が笑顔に変わっていきます。
顔がほころんだ瞬間をカメラに収め、プリントして手渡すと、
本人は照れ笑いしているんですけど、周りのお年寄りらが写真を覗き込んで
「うわあ、いい表情しているね!」って大絶賛。
撮られた本人もうれしそうで「写真撮影って楽しいもんだね」って言ってくれたんです。
その言葉を聞いた時、私は普段、写真を撮りなれてない方でも楽しんでもらえるような
写真スタジオを糸島につくろうと決めました。
わたくし、渡邊精二は妻と子2人の4人家族です。
毎年、他のプロのフォトグラファーにお願いして、家族写真を撮っています。
私は人の笑顔を引き出すことは得意ですけど、
自分自身の表情をうまく表現することはできませんから、他の方に撮影を頼むんです。
写真家である私にとっても、写真館での撮影は特別なことです。
1年に1度の特別な記念日。
家族の今の姿を記録に残す日。
家族の絆を強める日。
糸島写真館では、そんな大切な写真記念日を、楽しい記憶にしてもらいたいと願っています。
「本当に楽しかった」
そう言って、笑顔で帰路についてもらえる写真館でありたいと常に思っています。
(写真は渡邊精二の両親をフィルムカメラで撮影したのものです)